変態牝奴隷に堕ちる人妻熟女たち

変態牝奴隷になることが、本人と周囲の両方にとって幸せな人妻熟女たちがいる。セックスで性奴に堕ちるのは、知性や美貌や育ち、表面上の性格とは無関係な「牝の血(DNA)」ゆえかもしれない。

表の上側
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他人の妻と自分の妻
 隣の芝生は青い、という。これは、物理的な現象の説明でもある。二階のベランダから自分の家の芝生を見下ろすと、真上からなので地色が目立ち、それほど青々とは見えない。同じ場所から隣の家の芝生に目をやると、斜め上から主に芝生の側面を見る事になるため、実に青々と瑞々しい様子に見えるという意味だ。他人の持ち物がよく見えるという、浅ましい根性を戒めるだけの意味ではない。

 夫婦も永年連れ添っていると、新婚当初に被っていた猫を完全に脱ぎ捨てているため、お互いに表も裏も分かっているものだ。また、そうでなくては永の年月、二人三脚で生きてこれる筈もない。また、子どもが生まれれば、親としての役割が生じ、それらしい顔をして生きてゆく時間がほとんどになってしまうのも事実だ。
 隣の奥さん、知人のご内儀が美しく清楚に見えるのは、ともに日々の白兵先を戦っていないため、幻想を幻想として抱けるからである。もっとも、その白兵戦は肩を並べて戦うばかりでなく、お互いに言葉のナイフを片手に切り結ぶことも多いのだが。

 芝生の例えにもあるように、どの方向からどこを見ているかの違いであり、相手がどの顔をこちらに向けているかによる。身内以外の異性に対しては、気取りもあれば構えもある。それは、男女問わず自然な心の動きであるし、それが女を美しく、男を凛々しく見せるという要素は少なからずある。

 他人の美しい妻を略奪して、自分の妻にしてしまう。物語の題材にも時折なるこの種の行動が、略奪した側の男にとって幸福かといえば微妙だと感じる。奪った他人の妻は、すぐに自分の妻として馴染んでしまい、以後はずっと地色まじりの芝を見るしかなくなる。

 悲観的な考え方かも知れないが、泉は自分が立っている足の下にあるとも言う。要は、時に応じて気持ちを切り替えて男と女になれれば、自分の妻との間にも「ときめき」を取り戻せないものでもない。徒に青い鳥を追うよりは、まず足下に鍬を入れてみるのが得策かも知れない。
人妻・熟女の性 | 2011/04/18(月) 18:00:00

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